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胸躍るRPG「エターナルアルカディア」にこだわれ!

第1章 ゲーム史的に考えるエターナルアルカディア論

セガ純正RPGにあふれるパワー
 2000年にゲーム史上初の後払い制ソフトとして(当時は@baraiという名のサービスとして売り出した)、「ファミ通」の付録で配布したドリームキャスト用ソフト「エターナルアルカディア」。
 これは社内の人間だけで作ったセガ純正のRPGだが、やっぱりセガは何を作らせても天下一品だと思わせる。プロデュースは「ファンタシースターIV」の小玉理恵子。知名度こそないが、セガファンの間では「ファンタシースター」を超えるRPGとして根強い人気を誇る。とくに海外での評価は目を見張るものがあり、これを生涯のマイベストという者も少なくない。しかしこれが意外に日本では知る人ぞ知るゲームとなった観があり、ファンにとっては遺憾(いかん)でならないのだ。
 「エターナルアルカディア」が評価されたのは、ひたすらRPGの王道に走ったことと、CGムービー&フルボイス全盛の時分にノームービー&ノーボイスでやってしまったということ。戦闘時のロード時間が長いのはひどく不評だったが(戦争システムそれ自体は悪くないのだが)、それなのにこのゲームがゲーマーから絶賛されているのは、それだけ本当に内容が良かったからに他ならない。後払い制にしたのも、セガの自信の表れだ。このゲームには致命的な不満点を吹き飛ばすほどの圧倒的なパワーがある。戦闘だけ改善すれば史上最高のRPGだという者も少なくないのだから。

ドリームキャストのもてるすべてを
 「エターナルアルカディア」はドリームキャストのもてるすべてを出して作られたRPGだ。ビジュアルメモリを使ったミニゲーム、ネットワークダウンロード機能など、ドリキャスだけにしかない機能もフル活用し、押さえるところはすべて押さえている。セガのコーポレートカラーの青を基調としたそのスタイルからも、社運をかけた作品であったことは間違いなく、総勢150人以上となるスタッフが、総力をあげて取り組み、全担当者がそれぞれの仕事を完璧なものに仕上げ、見事にひとつの作品として積み重ねられている。フルポリゴンによるグラフィック、練りに練られたストーリー、ドラマティックなBGM、ありとあらゆる要素においてそれは群を抜き、PS3Wiiといった次世代ハードが台頭してもなお、この旧ハードのクオリティに遜色(そんしょく)はない。これぞスタッフの汗と涙の結晶。一生に残る、世界に誇れる、これほど気持ちの良い作品がまさか日本国内で、しかも我らの愛するセガによって作られたとは、我々日本人はセガ本社スタッフに感謝せねばなるまい。

男のロマン!冒険活劇!この世界観!
 何と言っても「エターナルアルカディア」は世界観が素晴らしい。ストーリーは世界に端があると信じられていた大航海時代をもとにしているが、「宝島」あり、「白鯨」あり、「ロビンソン・クルーソー」あり、「千夜一夜物語」あり、「ガリバー旅行記」あり、さらには「天空の城ラピュタ」、「銀河英雄伝説」まで、古今東西、男なら誰もが夢にまで見た冒険活劇のエッセンスのすべてが凝縮してこれでもかと詰まっている。こういう冒険物語があったら、こういう世界があったら、きっと楽しいに違いない・・・そんな男のロマンが、こうしてババーンと1本のゲームとして形になったのだから、これに興奮しないわけがあるまい。
 海と空の概念が一体化したその空間には、ストーンヘンジ、モアイ像、ナスカの地上絵、サルガッソー海域、アトランティス大陸、ミステリーサークルなどによく似たものもある。その元ネタを知っている人にとっては、思わずニヤリとするような世界観である。
 ギガスという巨大な生物破壊兵器が6体登場するが、この馬鹿でかさがもうたまらない。とても勝ち目がないのに果敢にも戦いを挑むところも熱い。戦闘画面での船と巨人の画的対比は、かつて誰しも一度は飛行機のオモチャで遊んだであろう、忘れていた子供心を思い覚ましてくれる。毎回ギガスの登場シーン、戦闘にはワクワクさせられることだろう。
 正義と悪の描き方もなかなか深い。ドラゴンや大魔王を倒しに行くのが目的なんかじゃない。敵のボスたちはみんな人間で、人間同士で殺戮(りく)を繰り広げている。人それぞれに野望や信念があり、行動を起こすための動機がある。中には無能な提督もいれば、志半ばで犬死にする犠牲者もおり、祖国を裏切る反逆者だって当然いる。これは人間同士の政治戦争なのである。ラスボスが平気で「世界を破滅させてやる!」と口にするのは王道の展開とはいえ、世界観がきっちりと作り込まれているので、その言葉にも信憑(ぴょう)性を帯びてくるというものだ。

臨場感たっぷりの3Dの街
 かつてこれほど街が生き生きと描かれたゲームがあっただろうか。先にも後にもないだろう。「エターナルアルカディア」では、ひとつの惑星がまるごと設定されている。その世界には太陽はない。6つの「月」によって世界が秩序(ちつじょ)を保っている。それぞれの月の下に、それぞれの国があり、違った風俗習慣がある。船乗り達が集う港町があったり、アラビア風の砂漠のオアシスがあったり、密林に囲まれた原住民たちの住む村があったり、日本と中国をごっちゃにしたような街があったり、SF映画のように宇宙を漂う箱船があったり、そのバリエーションの豊かさには舌を巻くばかり。
 驚くのはポリゴンによるその立体的な街の造形である。前後左右に歩くだけの旧来のRPGはもう古くさいものとなったマランバの街。このゲームでは奥行きのある臨場感あふれる街が再現されている。
 ポリゴンという言葉を有名にしたのはセガではないが、最もじっくりとポリゴンにこだわり続けてきたゲームメーカーはセガである。セガは3Dの生み出す世界を自ら「バーチャ(仮想現実という意味のバーチャルリアリティが語源)」と呼び、研究を重ねてきた。その結果生み出された「バーチャファイター」などの立体ゲームはゲーム業界における大革命となり、ゲームというジャンルの新時代を切り開いてみせた。ドリキャス発売後は、セガのゲームのほとんどが3Dとなるのだが、さすがに3Dの作り込みにかけては他社に引けを取らない。「エターナルアルカディア」は、その意味では、過去の集大成であって、今まででもっとも3D世界が作り込まれたゲームだと言いたい。ポリゴンとはいっても、テクスチャーから凝りに凝っていて、そこには空気が感じ取れてしまうほど。船乗り島の灯台からのぞく青い空、岩礁(がんしょう)、行き来する船の有様は、まるで、実際にそこに自分が立っているかのごとく錯覚してしまう。
 街中にあるものは、ストーリー上まったく関係のないものまで、いろいろなものを「調べる」ことができる。街の備品のひとつひとつにもちょっとしたストーリーが込められており、小道具などから登場人物の意外な一面をかいま見ることもできる。食器棚を調べてみたら、じいちゃんの入れ歯があったり、バケツを調べてみたらモップがまだびしょびしょにぬれていたり、そうした細かい演出から、街の人々にも「生活」があることを感じ取ることができる。立ち寄れるすべての店に屋号がついている点にも注目。つい時間を忘れて街中を探索してしまう。「次に行く街はどんな街かな?」と、船出するたびに、まだ見ぬ未踏(みとう)の大地への思いをはせ、期待と興奮でワクワクしてくるのだ。冒険中、これほど胸のすく体験をしたことがあっただろうか。

息を吹き込まれた人々たち
 個性豊かな表情を見せるポリゴンのキャラクターは、このゲームで最も高く評価された。「エターナルアルカディア」ではイベントデモも含めて、実に全編同じポリゴポリゴンキャランのままやり通しているのである。従来のゲームのようにイベントで突然きめ細やかなムービー映像になったり、「シャイニング・フォース」のようにフィールドで突然二頭身キャラになったりはせず、キャラの形はどこでもずっとそのまま。フィールド画面からイベントデモにも違和感なくスムーズに移り変わり、いつまでも感情移入は持続する。これは「シェンムー」でも試みられているのだが、「エターナルアルカディア」のキャラクターは、人のリアルな癖をよく捉えながらコミカルにデフォルメ化しているため、その効果は絶大である。しかも町の人々一人一人に違う表情と動きがある。この芸が結構細かい。道具屋だけを例にとっても店によって表情やしぐさがまったく異なり、どのしぐさも生活感に結びついている。よくもまあこれだけのモーションパターンを考えたものだと驚愕(きょうがく)するばかりである。「エターナルアルカディア」にはムービーは何ひとつないが、息を吹き込まれたように動くそのポリゴンキャラを見ていると、まるでゲーム全編がムービー映像のように思えてくる。「エターナルアルカディア」のゲームディスクはたったの二枚なのにかなりのボリュームを感じる内容だが、これはイベントデモもすべてポリゴンだけでやってのけた成果だろう。ファイルサイズを食う従来のCGムービーがバカらしくなる。

喋ってもいないのに聞こえてくるような声
 ポリゴンに共感する理由として、もうひとつが、キャラクターが喋(しゃべ)テキストが読ませるらないこと。関智一、麦人、若本規夫、そうそうたる声優陣を招きながらも彼らに「喋らせなかった」のは英断といえる。最近のゲームはフルボイスが多くなってきているが、「エターナルアルカディア」をやると、ゲームのキャラはやはり極力喋らない方がいいと実感させられる。「エターナルアルカディア」ではごく一部の短いセリフをのぞけば、感動詞くらいしか喋らず、セリフの大部分はテキストのみで表現されている。この手法はとてもうまい見せ方なので、今後のゲームでも見習ってもらいたいものだ。キャラクターの感情の起伏がその短い声に反映されつつ、プレイヤー自身がテキストのセリフを心の中で「読む」ことによって、自分だけのキャラクター像を作り出せるのである。キャラクターにだらだらとセリフを喋られるより、このように自分で読んだ方が世界に入り込みやすく、自分との共通点も見いだしやすいに決まっているではないか。またノーボイスにしたため、町の人々にも幅が利いて、ひとりひとりにコミカルな個性とエピソードが生まれている。こうして登場人物全員が愛すべきキャラクターとなった。だからこそ仲間集めが楽しくなった(「エターナルアルカディア」では色々な国の人が仲間になってくれるが、町の人たちはみんな特徴的なので、誰が仲間になってもおかしくない)。もし仮に町の人々がみな声を出して喋ったとしたら、幻滅だっただろう。

映画さながらのキャメラワーク
 キャメラワークについても語らねばなるまい。砲撃戦やイベントシーンでのキャメラの素晴らしさは言うまでもないが、町のちょっとしたところでのアングルにも注目である。例えば人に話しかけるとき。普通のRPGなら人に話しかけてもハシゴアングルはそのままだが、「エターナルアルカディア」では人に話しかけると主人公の視線になるのである(しかしアングルの変化はプレイヤーに意識させない)。画面がクロースアップすることで、よりポリゴンキャラが表情豊かに見えてくるのである。主観視点は「シェンムー」も同じだが、「シェンムー」はフルボイスであるため、セリフがありきたりなものになった嫌いがあった。「エターナルアルカディア」は、話しかけるたびにイベントデモのようなアニメーションが見られる(しかもロード時間は0秒)。これはド偉いことではないか?
 ゲームをプレイした人から、よく「ハシゴの上り下りが遅くて面倒」という意見を聞くが、この演出の良さに気付かないのだろうか。島の高台につながるハシゴをのぼっていく間、青い空の下、ゆったりとキャメラが捉えて、ロマンチックだとは思わなかったか? ハシゴを勢い良く上り下りされてしまってはこのムードも白けてしまう。このゆったり感が感情移入させるのだ。この胸の躍(おど)る感触が「エターナルアルカディア」の面白さである。

ほれぼれする主人公像
 ヴァイスは自慢の船で世界中の空を自由に駆け巡る好奇心旺盛大胆不敵の空賊(海賊のこと)。旅をしながら自由に生きるという、我々男たちの欲望をポリシーにしちゃってるところがうらやましい人物だというのはシナリオ制作兼ディレクターの田中俊太郎氏の談だ(田中氏は「ドラクエIII」、「イース」をプレイして以来、RPGを作ることを夢見てきてついに「エタアル」でその夢が実現したとのこと)。
 今までRPGをプレイしていて、宝箱の中身を盗む姿を見て「それで正義か」と疑問に思ったことがあったが、その矛盾はここに解決した。主人公のヴァイスは空賊だから、お宝をぶんどって当然なのである。ヴァイス自身もゲーム中「首に賞金をかけられるのは空賊のステータスだ」などと語っている。
 この主人公、ただならぬ熱血漢。彼は、どんな苦難があってもくじけずに前向きに立ち向かっていく。まったくほれぼれするような男だ(声も威勢があってかっちょええぜ)。「エターナルアルカディア」には、「男気」というパラメータがあり、主人公はどんどん男を磨(みが)いていく。やがて一人前になると自分の船を持ち、本拠地を構えるようになる。この本拠地が最高に素敵。最初は何もなかった無人島だったのに、それがみるみる立派な街へと変わっていく。その過程を見ていくのもまたたまらない。ゲーム中、人として日々成長していく彼を見ていると、自分もこうしちゃいられないと奮い立たされるだろう。
 このゲームにはアイカ、ファイナという2人の美少女も準主役として登場する(パッケージを見たときはてっきり萌えゲーかと勘違いしちゃったけど萌え要素がほとんどなくて良かったです)。ヴァイスの男っぷりが、この2人の美少女によって見事な均衡(きんこう)を保っている。自分の家を持ち、組織のトップとなり、さらに両手に花とは、ゲームをしていて男としてこれほど気持ちがいいことはあるまい。

そこに何かを発見し想像する楽しさ
発見物  「エターナルアルカディア」には「発見物」というシステムがある。空を飛んでいたらたまに遺跡などを発見するのである。コンパスが発見物に反応した瞬間、ダンジョンの宝箱などでは得られない大きな達成感が得られる。発見物を少しずつコレクトし、航海日誌に記帳していく楽しさは、実際にやってみなければわからない。
 発見物を見つけると男心をくすぐる逸話を読むことができる。この解説文がちょっとした短編小説風で、味のある挿絵と共にイマジネーションを大いに刺激する。発見物のひとつひとつにドラマがあり、その地域独自の文明・生活を感じることができる。発見物を見つけるたびに「エターナルアルカディア」の世界をより広く知り、より深く味わうことができるであろう。このゲームはこうした「ものを探す楽しさ」にあふれている。そして、そこにはゲーム中は直接描かれてはいないが確かに存在しヴァイスたちも実際に訪れたであろう様々な国々を「想像する」楽しさが秘められている。ぜひ攻略本なしでコンプリートして欲しい。

不評だったのは戦闘システム
 「エンカウント率(敵との遭遇率)が高い」という意見は、セガの掲示板などでも一番多かった意見である。確かに「レンタヒーローNo.1」、「グランディアII」など、同時期のRPGは敵との遭遇率が少なく感じるし、戦闘もさくさく進むものが多かった。対して、「エターナルアルカディア」の遭遇率は古き良きRPG時代並のシビアさに感じる。ロード時間が長いこと(遭遇からコマンド入力までの無駄が15秒)、エフェクトが長いこと、フィールド内で敵のいる位置までキャラクターが歩くのが遅いこと。しかもターン制で、攻撃している様子をパーティ4人分別アングルから4度に渡って順々に見せていくので、1回の戦闘は相当に長くなる。
 実際のところは、エンカウントは決して高いわけではない。発見物を探している間など、思うようにいかず途方に暮れているときに、敵が登場すると戦闘がうるさく感戦闘じてしまうため、そこがエンカウントが高いと勘違いさせる要因になっているようだ。とはいえ、後半から敵に全く遭遇しなくなるという配慮がなされているので、これもまったくの許容範囲ではある。
 属性と「ガッツ」を考慮して戦う戦闘システムはなかなかにユニーク。人の気合いと根性は無限ということで、「ガッツ」が0になることはない。しかしそこが戦闘バランスを崩す結果となったと言わざるを得ない。後半からは「ガッツ」が有り余ってしまい、戦闘中に必殺技が簡単に使えてしまうことになる。この必殺技のエフェクトがスキップ不可のため、戦闘時間を長くしてしまうことになった(もっとも、このエフェクトが凄まじく派手なので、見ていて飽きることはないのだが)。
 煌術(魔法のこと)については、KPを消費して発動する。このKPが術の種類に関係なく1ずつしか減らないのもちょっと考え物だった。後半ではKPが有り余ってしまう上に、ほとんどの戦闘で上位クラスの煌術を使えば敵を一掃できるため、難易度が簡単になってしまったのである。安価なアイテム(アイテムはガッツが消費しない)で煌術の代用ができてしまう点もバランス的にはいかがなものかと思う。
 ただし悪いところばかりではない。主人公3人はそれぞれに得手不得手があり、ヴァイスは攻撃系、ファイナは魔法系、アイカはオールマイティに使い分けて戦う楽しみがある。ザコ相手の場合、ヴァイスなんかよりも実は女達の方がよっぽど戦力になる点も面白い。1ターンにつき、1人で1回の行動しかとれないため、各自の担当をどう割り振るか、その駆け引きが、ターン制ならではのだいご味で、なるべく少ないターンで戦闘を終わらせるべく悩む当たりは、詰め将棋的な楽しみ方といえる。
 このゲームがユニークなのは「防御・補助重視」ということだ。攻撃に徹すると、攻撃ミスが発生したり、敵からの反撃を受けやすくなる上、無防備なので大ダメージを被(こうむ)ることになるが、防御を固めると、単純に打たれ強くなる上に、反撃のチャンスがあがる。反撃は必ず敵にヒットするため、戦闘がスムーズに片づくという寸法だ。いかに攻めるかよりも、いかに守るかがこのゲームの戦闘スタイルといえる。ただ何も考えずに「攻撃」ばかりを連打していたのでは、このゲームの戦闘の本当の良さには気づかない。ひょっとすると、戦闘が不評と言われたのは、プレイヤー側に問題があったのかもしれない。

一人称視点映像にみる360度の世界
 「敵に遭いたくない」という思いが、このゲームをより現実的なものにしているということを書かせてもらう。このゲームではYボタンを使うと、画面が主人公の見た目の映像になる。見た目の映像では、360度好きな方向を見渡すことができるので、プレイヤーは主人公と一体化した気分になれる。これは「ソニックアドベンチャー」、「シェンムー」などでもセガが積極的に利用しているオプション機能であり、ここに「自分の見たいものを見る」という考えが直接反映されることになる。試しにYボタンを押して空を見上げてみなさい。画面一杯に広がるどこまでも澄み切った空が、壮大なる世界をイメージさせて、今までに味わえなかった感動を体感できることだろう。
  ダンジョンなどでもYボタンを活用すれば、歩かずして周囲を観察することができるのだし、そうなれば行き止まりにぶつかることもなく、敵の遭遇もある程度は避けられる。「エターナルアルカディア」は「本当に冒険している気にさせる」という意見が多いが、このYボタンの視点映像こそ、その大きな勝因となっているのではないか。

ドラマティックなサウンド
 このゲームの良い点をあげるならば、第一にストーリー、第二にビジュアル、第三にサウンドであろう。数々のBGM、音響効果がおりなすムードは、その世界観をより現実味のあるものにしている。サントラCDにいたっては、現在はプレミアがつくほどの貴重品となった。
 文化の違う街のひとつひとつで、それにあった楽器が選ばれ、文化に根ざした音楽が流れるが、このメロディがすこぶる良い。街の造形と共に、音楽についても、新しい街に来るたびに楽しみがある。そこに聞こえる虫や野鳥の鳴き声、水流・風の音、生活音なども効果を上げている。
 タイトル画面に流れる「メインテーマ」はフルオーケストラで演奏されており、何よりも印象深い。昼から夜へと移り変わるこの雲の映像のなんと詩的なことか。
 書き忘れてならないのは、音楽が状況によってごく自然にディゾルブすることだ。フィールドを飛んでいるときの音楽はひとつのメロディが、飛んでいる空域によって、アラビア風、アフリカ風、ヨーロッパ風、それぞれ異なる楽器で演奏されているのである。
 また、ボス戦では、パーティーの戦況によってBGMが変わる。ピンチ状態では暗い音楽となり、優勢になるといっきに音楽が盛り上がり、プレイしているこっちまで気持ちが高揚(よう)してくる。

人の人生観をも変えてしまう壮大なるストーリー
 「エターナルアルカディア」の魅力はストーリーにある。壮大なるスペクタクル歴史絵巻である。「シャイニング・フォース」や「レンタヒーロー」や「ファンタシースターユニバース」など、RPGにありがちな「章節ごとにゲームが進行していく」という典型的な構成ではなくて、最初から最後までが区切りのないひとつながりのストーリーになっているのもよくできたものだ。謎解き要素はなく、フラグが明確なため、ストーリーはスムーズに展開するが、途中脇道にそれるのは個人の自由。悪いゲームにありがちな「お遣いをやらされてる感」は一切感じさせず、自らの意志でストーリーを進めている実感が得られる。最初はひとつの島からスタートし、それから様々の国に訪問、大海原を股にかけ、エターナルアルカディアの世界は無限大!ついには戦争を終結、世界破滅の危機を救うとは、このなんたるロマンチシズム!
 登場人物の心情は日記帳に記す手法がとられてあり、ストーリーと平行して日記の内容をチェックすることで、より深く登場人物に感情移入できる仕組みになっている。それゆえに登場人物の一喜一憂(いっきいちゆう)にも確たる裏付けがあり、真実味が増しているのだ。
 他のRPGにありがちなドロドロした恋愛描写がなく、男女関係については実にさりげなく描かれている点もポイントが高い。主人公は二股をかけているのに、これに嫌味は微塵(みじん)もない。
 セリフの一言一言にも芸があり、よく書けていると思う。とくに敵国の提督たちのセリフが読ませる。「恐怖で小便をまき散らせ!」など、文部科学省にいちゃもんをつけられそうなセリフが妙に生々しくて良い。
 ラストは、まさに「最終決戦」という感じで、その緊張感がひしひしと伝わってくる。それまでの全エピソードが一同に本流へとつながる大展開に、胸のバクバクも最高潮に達する。大団円とはこのことだ。
 一般的な平均プレイ時間は50時間以上になるが、長い長い冒険に幕を下ろしたとき、感動のため息をつきながら、まだまだ冒険を続けていたかったと思っている自分に気づくはず。
 エンディングでは、敵キャラを除く主要登場人物の「後日談」が紹介されるが、この後日談がまた憎い演出で、登場人物の数だけ、たくさんのイメージを呼び起こしてくれる。主人公たち3人がその後どうなったのかも適度にあいまいに表現され、プレイヤーの想像力をかきたてる。これほど余韻(よいん)を残すゲームは他にはあるまい。
 このゲームのテーマは、目的を持つこと。そして、あきらめないこと。このゲームを通して、我々は実に多くのことを学び、勇気づけられるであろう。(テキスト:澤田英繁)

続き「第2章 エターナルアルカディアのファンのために」(ネタバレしまくりなのでクリアした人だけが読んでください)。

おまけ:ゲームキューブ移植版「レジェンド」について
 「エターナルアルカディア」は好評につき、マイナーチェンジしてゲームキューブに「エターナルアルカディアレジェンド」として移植された。主人公のライバルが登場したり、賞金首を討ち取る「ウォンテッド」要素など、工夫が加えられているが、ただしつこくなっただけで、成功しているとは言えない。発見物が新たに25種追加されたのは嬉しいが、中には移動中に目立ちすぎて目障りになるものもあり、ちょっと残念である。
 ハード性能的には、戦闘のロード時間が10秒ほど短縮されたのはいいが、サウンドが全体的にドリキャス版よりも弱くなっており、BGMにのびがない点が痛い。画質もやや低下した様子だ。
 倫理面では、たばこの描写が楊枝(ようじ)に差し替えられ、マッチョマンのスケスケの衣装が規制された。楊枝に変わっても「ぷはー」と一服するしぐさは前のままのためキャラクターの動きに違和感がある。
 また、ドリキャスではやや難しすぎた漢字表記が、GCでは小・中学生向けにひらがな表記となってしまった(「砲撃」が「砲げき」になった)。このひらがな表記は、せっかくの文学的な趣向が殺がれてしまったため、多くの悪評を買うことになった。残念ながら、GC版は、移植という点では、失敗作と言わねばなるまい。これからどちらかをプレイするのであれば、ドリキャス版の方を勧める。